4月2日未明、伊坂幸太郎著、『アヒルと鴨のコインロッカー』を読了しました。
彼はいつもあたしを大きく裏切る……。
判っていたのにまた裏切られてしまいました。
この本を買ったのは随分と前のことです。
ちょうどあたしがこの本を買ったとき、弟が偶然にもこの作品の映画版を友人と観ました。
「あの映画は観たほうがいい。邦画もやるもんだと久しぶりに思わせてくれた。本当に観たほうがいい」
弟は興奮した様子であたしにそう言いました。
弟も本が好きで、あたしが知らないような作家をいっぱい知っているようですが、伊坂幸太郎さんの作品はまだ読んだことがなかったようです。
あたしは言いました。
「だから言ったじゃん、伊坂さんの作品は面白いよって。前からすすめてたじゃん」
でも、あたしはそのままこの作品を読まずにいました。
作品が映画化した場合、大抵あたしは小説を先に読みます。
単純に本が好きだということもありますが、映画化されるほど評価されている作品であれば、小説の時点でその作品世界は完成されているからです。
映画化するということは難しいことで、多くの場合小説ファンを落胆させます。
けれどそれほど弟が絶賛するのであれば、まっさらな状態で触れるのは映画のほうがいいのかもしれない、と思ったのです。
迷っているうちに月日が経ち、結局あたしはこの小説に手をつけました。
読み始めは、映画を先に観るべきだったかなと思いながら読みすすめていました。
また予想してなかったですからね。
これから先、大きく裏切られることは。
読み終えた時、とにかく映画版が観てみたいという思いに支配されました。
この作品は活字だからこそ、これほどまでに衝撃的にあたしを裏切ったのです。
この構成は活字でなければ出来ない。
となると、映画版は違った構成で作られなければならない。
もしくは最初から矛盾が目に見える形で、答えがひとつ晒された状態で物語が進んでしまうのを問題とせずに作ったのだろうか。
一体どうやって実写化して、どうやって称賛を得たのか。
それが知りたい。
こんなに映画版を観たいと思わせてくれる小説も珍しく、小説から先に読んでよかったと心から思いました。
そして翌4月3日、昨日のことでありますが、たまたま池袋のROSA会館の前を通りました。
そうだ、TSUTAYAへ行こう。
気づいたらあたしの足はROSA会館内TSUTAYAへと吸い込まれて行ったのであります。
早く映画版を観たい!!
思い立ったら即行動であります。
一言で感想を表すと、「今日観たのは映画で、この間読んだのは小説だった」といったところでしょうか。
つまり素晴らしい。
あたしの興味は、活字でしか成し得ない読者への裏切りをどう映像で表現するか、でした。
伊坂さんの作品は、その大半がミステリーです。
けれど、特別、ミステリーであることを意識して読んだことはありません。
何の仕掛けもない群像劇のように物語が進むので、あたしはつい油断して読み進めます。
先が気になって夢中で読み進めていくうちに考えてもいなかった方向へ物語が進み、愕然とする……そうして、ああそうだ、これはミステリーだった、と気がつくのです。
『アヒルと鴨のコインロッカー』も同様でした。
伊坂さんは活字を味方につけています。
活字ですから、読み手は自分の中にその作品世界を自らの想像力によって作り上げねばなりません。
けれども、この作品においては、自分で構築したはずのそのイメージが作者によって意図的に捻じ曲げられたもので、物語の後半でまんまとひっくり返されてしまいます。
ああ、騙された。
ミステリーにおいて、謎が解けたときの衝撃とある種の爽快感が瞬時に襲ってくるのです。
しかし、映画は小説より情報量が多いです。
あたしの頭の中でイメージを勝手に構築したからこそ、あたしは誤解をし、まんまと騙されたわけですが、映像では真実が見えてしまうのではないかとあたしは考えました。
その点においては、あたしは拘り過ぎていたんだなと、映画を観ながら考えました。
ああ、なるほどね。
そうするわけですか。
あの小説をどうやって映像化するのか、と考えるのではなく、あの物語の面白さを映画でも表現出来ていたらいいんだ、と気付きました。
あたしの頭の中に構築されたイメージはおそらく作者の意図する通りのものだったわけで、それならば映画ではそのイメージを具現化して見せてしまえばいいのです。
映像によって視聴者を騙すわけです。
それは、完全に与えられたイメージであり、思い込みを覆された時の衝撃には及ばないかもしれません。
実際、小説を読んでいる時に感じた、『あたしを大きく裏切ったその瞬間』の衝撃は、映画版の方では薄かったです。
それはあたしが小説を読んで答えを既に知っていたせいもあるかと思いますので、初めてこの映画を観た人にどれぐらいの衝撃を与えるかは判断出来ないんですけどね。
でもそんなことは問題じゃなく、映画そのものが素晴らしかったのです。
作品をいじり倒して作品世界を変えてしまうことなく、110分という時間の中に本当に上手にまとめてありました。
キャストも最高です。
松田龍平さんだけ、イメージと違ったので、「えー、あの役松田龍平さんなの?」と思ったのですが、観てみたらその演技はたたずまいも含めてイメージそのものでした。
松田龍平さんには同じような印象を抱いたことが過去にもあります。
NANAの映画版で、観る前はイメージと違うと思ったのに、観た後は「アリだな」と思わされてしまったのです。
いい役者さんですね。それってすごく。
それから、泣けるのは映画の方です。
ボブディランのメロディが切なく、今も耳に残っています。
小説を先に読んでホントによかった、というのが、小説を読み終えたときの感想でしたが、それを撤回します。
小説の醍醐味を味わいたい人は小説を先に読めばいい。
映像の醍醐味を味わいたい人は映画を先に観ればいい。
きっとどちらが先でも、なんなら片方だけでも、十分に満足出来ることでしょう。
活字の特性を生かした、映像の特性を生かした、理想的なメディアミックスだとあたしは思います。
今日観たのは映画で、この間読んだのは小説だった。
そして、この物語は面白い。
オススメです。